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「魂は永遠」
 人間には前生・前々生・・・があり、連綿と生まれ変わり(輪廻転生)を繰り返し、現在今生を生きている。そして又、来生、来々生と続いていくのである。(基本的に人間は人間に・・・。例外もあるが。)
 だからこそ、この世に生まれて来た意味を考え、その使命(役割)を果たすべく常に前向きに生きていく事が大切である。

「サムシンググレート」
 我々は、目に見えない偉大な存在(神様?)によって生かされている。この世に偶然は無い。総ての出来事(病気、事故・・・etc)は起こるべくして起きている状態であり、又、自分自身の問題である。そしてその課題から逃げるのではなく、チャレンジをしクリアをする事において必ず学びを得られるのである。それを人間の成長と言う。
 サムシンググレートは我々に対し乗り越える事の出来ない課題は決して与えない事も知っておかねばならない。

「運命学」
 俗に占いといわれるものには様々なものがあり、元来命・ト・相・医・山を総合的に活用しなければならないのだが、私自身重宝している東洋哲学系に関して言えば一般的に統計学だと言われているが、私は単純にそれだけではかたづけたくない思いをもっている。即ちこれは天の神様が我々人間に何かの時、つまり迷ったり、悩んだりした時に一つの指針にと与えて下さった賜わり物ではないかと感じております。そして、運命学は基本的には一つの傾向を見る目安であって予言ではありません。我々は自分の運命が分かれば良いというのではなく大事な事は如何にその運命を己の努力によって好転させるからです。
 宿命は変えられませんが、運命は変えられます。生まれつき良い運命の人は慢心せず、感謝の念と謙虚な姿勢を忘れず、悪い運命の人はそれに翻弄されず神仏の加護と自分の努力によって開運を目指すその為に運命学が存在するのである。


「カルマの消滅」(すべて必然)
 生命誕生自体が神秘的であるが、自分に関わるこの世で起こるすべての出来事はカルマの法則(因果応報)により起こっておりもっと言えば自分自身がカルマの消滅をする為にそれが起こる事を決めてこの世に出てきているのである。(但しほとんどの場合無意識だが潜在意識的には分かっている)
 だから何が起ころうとも他人のせいや世の中せいではなく必ず正解のある自分の問題なのである。従って何事が起ころうとも心配する事なく力強く生きていけばよいのである。

「宗教」
 総てとは言わないが世間の多くの宗教が組織作りと経営に走り宗教活動イコール経済活動になっているのが現状である。そして、いたずらに恐怖心を煽り御利益信仰を押し進め自分自身では何も決められない只依存心ばかり助長され自分の人生の課題として勉強を怠り何の成長もしない自己満足の烏合の衆の集まりになっている。本来宗教の役割は神仏の存在を知り、何事にも感謝を捧げ、希望を持って、自分の力でシッカリと生きていけるように導いていく事ではないでしょうか。神様仏様を尻に敷く宗教の余りに多い事に憤りすら感じます。

「信仰」
 理屈理論ではなく、ましてや組織など問題ではなく、只管この世に生をいただき生かされている事(どのような境涯であれ)に感謝する事が真の信仰である。お布施や教義と言った物にとらわれず、心が一番、但し心を込めて手を合わせる事はなかなかたやすい事ではない。そこで先ずは手を合わせる形、有り難うという言葉からで良いのである。その繰り返しをし積み重ねに自ずと心が伴ってくるのである。


「言霊(ことだま)(波動)
 我々は日頃口にする言葉には、すごい力が潜んでいることを知っておく必要がある。例えば、植物や動物を育てる際に総ての条件を全く同じ状態にして、一方には「きれいね」「かわいいね」「愛している」等のプラスの言葉を掛け続け、そして他方には「醜い」「憎らしい」「バカ」「死んじまえ」等、マイナスの言葉を投げ掛け続けた場合、各々の発育において雲泥の差が生じる。ひどいケースはマイナスの言葉は衰弱をし遂には死に至ることすらある。それは、人間を含めた総ての生き物及び物質に対していえることである。即ち良い言葉は良い波動を発するということなのである。
 マイナス言葉つまり我々が使ってはならない言葉の代表的なものは「ダメ」「アカン」「シンドイ」等であり。逆に我々が最も積極的に使わなければならない言葉の代表が「ありがとう」である。この言葉は日常において口癖のように頻繁に使うと良い。
 初めは心がこもってなくてもよい。この言葉は良い波動を相手に向けて発するだけでなく、その言葉を使った人間そのものも良い波動につつまれ身も心も浄化されていく作用がある、従って何度も使っているうちに自然と何事に対しても心・か・ら、感謝できるようになるのである。

「この世は修養の場」(良い想念に生きる)
 人間の思い(念の力)は絶大なエネルギーを発する。丑の刻参り、呪いの藁人形など、生霊(いきりょう)と化し人の命をも奪う。病は気からどころではすまない。しかし、人をの呪わば穴二つ、念を送った当人より送られた相手の方が念力が強い場合などは倍の力で戻ってくると言われる。悪の想念のはびこった心は悪の波動に感応しやすく、その結果容易に悪の想念を受け易い体質になってしまい、時には低級な霊を受けてしまうこともある。
 従って、我々とは常に、荒みがちなこの世において、素直で明るくすべてのものに、慈愛の心をもって、あたかも泥沼に咲く清らかな蓮の花のごとく善意の想念を発し続けることが我々の今生での修養である。


「自分が変われば」
 よく悩みの相談において、自分は運がない不幸だとか周囲の人間に恵まれていないという人がおられるが、類は類をもって・・・という言葉があるように、えてして自分と同じレベルの者が集まるものである。人と争い喧嘩をするという事も相手と同じレベルである事に他ならない。常に自己を反省しその魂を磨けば自ずと周囲の環境も変わってくるものである。良い人とつき合いたければ、自分が良い人になる事。相手に求める前に自分が与える事。相手を変える前に先づ、自分が変わる事である。


「霊性向上」
 我々は自立に向かって、自分の足でしっかり一歩一歩歩き続けなければならない。その為には、勇気を持って先ず一歩踏み出す必要がある、そしてくじけそうになった時、そんな時こそ自分自身を深く知り、自分の弱点を知り、それを補強するチャンスなのです。一歩踏み出せた自分には、それをクリアーするだけの力があるということを覚えておいて下さい。

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